鬱でも中卒でも経営者さ♪

中卒だろうが鬱になろうが、経営者という立場で笑い泣きしながら生きてます(笑)

できない自分を許す。

ありふれたタイトルで、ごめんなさい。笑

しかし、「鬱」というものと向き合い、

寄り添いながら生きていくには重要なことです。

 

「鬱」と寄り添い生きる。

 

鬱は簡単には完治しない。そう私は思っています。

実際、鬱と診断されてから7年経ちますが、

完治とは言えません。

 

治そう。治したい。

 

ではなく。。

 

鬱と寄り添い共に生きていく。

 

「鬱」は、その人から「できる事」を奪っていきます。

仕事に行けない。

寝れない。

食べれない。

外に出れない。

人と接することができない。

などなど。

 

このようなことになってくると、当然困るので。。

「治そう」とします。

ネットで調べてみたり、カウンセリングを受けたり、

心療内科を受診したり。

これらで、改善されたのなら私は何も言う事はありません。

 

 

「治そう」と頑張って行動しているのに。。。

 

行動すればするほど、「完治」に対しての期待は

大きくなりますよね?

しかし、良くなっている気配がない。感じられない。

 

治そうと行動をすることで【完治への期待】が高まるも、

成果が見えないことで【絶望感】だけが残ってしまう。

 

これも、負の連鎖ですね。

 

治すための「行動」を否定しているわけではないです。

私も、いっぱい行動しました。

そのぶん、「絶望感」もいっぱい味わいました。

その絶望感が、私を「外出」ができないまでに、

追いやったのです。

 

「絶望感」を味わう前に、「治す」ではなくて、

「鬱」と寄り添い生きいく。

この選択をして欲しいんです。

 

この選択をしてから、徐々にですが

できる事が増えました。

本当にゆっくりとですが、確実に増えます。

 

ここで、問題なのが。。。

 

どう寄り添うか?

 

これも、重要な【キー】なんです。

この【キー】は、全員に共通するものでは、ありません。

あなたのための【キー】が、

必ずあります。

 

今後、ゆっくりと発信していきます。

私と「鬱」。

 

前回は、「鬱」になったキッカケの出来事をお話しました。

 

myworld0223.hatenablog.com

 

このキッカケから、私の体と心は時間をかけてゆっくりと

ボロボロになっていきました。

 

小学生の時に経験した、給食という「食事」のあり方。

先生方によっても指導の仕方は異なると思いますが、

私の場合は「残してはいけない」という指導でした。

 

「食べ物を粗末にするな。」

 

「食べ物が無かった時代の人に悪いと思わないのか?」

 

粗末にしてるつもりも無いし、食べ物の有難さに感謝の気持ちもあります。

だけど、そのような事を言われるほど食べれなかった。

好き嫌いではないんです。

好物のものさえ、給食では喉を通らない。

まぁ、そんな経験があるので「食事」に関して、

家以外では緊張感が常にありました。

 

そんな緊張感も、

中学に入って給食ではなくなった事で、だんだん薄れました。

家以外でも緊張すること無く、食事ができるように

気付いたらなっていました。

 

ですが。。

 

突然に「食事」に対する緊張感が襲ったのです。

どれだけ自分自身で否定しても、その緊張感は消えませんでした。

 

それからは、外食ができません。

「残したらどうしよ?」

と、思うと喉を通らない。無理に飲み込もうとすると

吐き出しそうになる。

「人前(他のお客)で吐いたら、どうしよ?」

と、思うようになり逃げるように店を出ました。

 

これだけを見ると、「食事」というものに

コンプレックスがあり「食事」だけに困っているように

思われるかもしれません。

 

でも、そうじゃない。

 

「残したら、どうしよ?」

から

「吐いたらどうしよ?」

って、マイナスな気持ちが連鎖してるんです。

 

この負(マイナスな気持ち)の連鎖が、

どんどん体と心を壊していくんです。

 

私は、この連鎖で最終的には

「外出」ができなくなりました。

「外食」ではなく「外出」です。

 

経緯は、別の機会に書く事にして。。

 

「外出」ができなくなった時に、

不安障害からの鬱だと診断されました。

 

あの、ささいなキッカケから3年後です。

 

「外出」できないのに、病院は行けたの?

って思う方もいますかね?

この辺りも、今後ゆっくり書きますね。

 

長くなってしまいましたが、

今回私が言いたい事は、

 

マイナスな気持ちは連鎖していく。

 

その連鎖を止めれない限り、心と体は壊れ続ける。

という事です。

 

私個人の解釈ですが。。

 

連鎖を止めればいいんです。

むしろ早い段階で、連鎖を止めなければならない。

 

どうやって連鎖を止めるか?

 

これが今後、発信していく【キー】です。

順番に、ゆっくり発信していきます。

 

ささいなキッカケ。

 

「鬱」と診断されるまでは、ささいなキッカケから3年後でした。

この3年間は、本当にきつかった。

しんどかった。

いっぱい泣いたし、死にたくもなった。(死のうとはしなかったけど。)

 

そんな3年間の始まりのキッカケ。。

本当にささいな事だったんです。何だと思います?

私の暗黒の3年間の始まり。。それは。。

 

 

【友人からの食事の誘い】だったんです。

 

 

は??でしょ?(笑)詳しく話すと、

私が結婚する事になって、そのお祝いに友人が

「焼肉おごるよ!腹いっぱい食べて!」と、私と妻を誘ってくれました。

 

テンション上げ↑上げ↑

遠慮なく、たくさん注文しました。

テーブルいっぱいに並んだ肉の皿。「さぁ食べよう!!」

ハラミだったかな?を、2枚食べた途端「残したらどうしよ。」って。

 

本当、突然でした。

「残したらどうしよ。」

そう思った瞬間、全く食べることができませんでした。

汗と吐き気が止まらない。早くこの店から立ち去りたい。

そんな気分でした。

この気分、感覚を味わうのは人生で2度目でした。

 

小学生の時の【給食】です。

 

小学生の時の担任は、食べ残しを許さず給食の時間は毎日が地獄でした。笑

小食だった私は、給食を食べきることができずに、

掃除の時間まで私の給食は、机に残っていました。

泣きながら「早くこの場から立ち去りたい」と思ってました。

 

 

この感覚が、あの頃から約10年経って再び私を襲ったのです。

ささいなキッカケで、あの頃の感覚が舞い戻り

私は、外食ができなくなりました。

 

外食ができなくなった自分。

それからの自分は、色んな意味でどんどん不自由になっていきました。

それは、また今度書きますね。

 

何が言いたいか?というと。

何気ない日常のささいな事がキッカケで、突然に心が壊れてしまう。

それを本人以外の周りの人間は、とても理解できない。

理解しにくい。という事です。

 

気付いて欲しい。

気付いてあげたい。

 

この気持ちのすれ違いが、本当に辛いんです。

 

では、どうすれば気持ちが通じ合うのか?

この事が重要な【キー】になってきます。

 

この【キー】を今後、私なりに発信できたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介

みなさま、初めまして。

タイトル通り、中卒で鬱と寄り添う個人事業主です。

このブログでは、私自身の経験談や、物事に対する考え方や価値観を包み隠さず、さらけ出していこうと思っております(笑)

私のブログを通し、何かのキッカケや悩みの解決策の糸口を見つけてもらえたら、大変光栄です!

宜しくお願いしますm(_ _)m