鬱でも中卒でも経営者さ♪

中卒だろうが鬱になろうが、経営者という立場で笑い泣きしながら生きてます(笑)

いつまで働くか?

あなたは、いつまで働きますか?

現在と同じ環境で、働き続けることができますか?

 

そもそも、何のために働いていますか?

働きたいですか?

 

働く事で、収入を得ます。

収入が無いと、生活はできません。

ですので、大半は収入を得るために働いていると思います。

 

好きなことや、やりたいことが仕事になっていれば、

その人は幸せですね。

 

ですが、そんな人ばかりではありません。

むしろ、好きなことを仕事にできる人は少ないです。

 

なので、収入のために我慢しながら働いている人も、

少なくは無いはずです。

 

思いもよらない収入を得た場合、

仕事を辞めたいと思っている人も、多いかもしれません。

 

しかし、私自身の個人的な見解は、

思いもよらない収入を期待している人に、

思いもよらない収入は、ほぼ100%舞い込みません。

 

本気で働きたくない。

仕事を辞めたいなら。

 

【いつまで働くか?】を決めましょう。

今すぐに仕事を辞める事は、現実的に不可能な方も、

いつまで働くか?は決めれます。

 

非現実的な話に聞こえるかもしれませんが、

いつまで働くか?を自分で決めてしまうんです。

これを考えている人は、私の周りにも非常に少ないです。

なにも定年退職だけが、働く事の終わりでは無いと思います。

 

働いていようが、働いてなかろうが、

生活(収入を得る)できれば、問題ないと思いませんか?

 

いつまで働くか?を決めたら、

それを実現するために何をしないといけないか?を、

考えないといけません。

そんな事を考える必要があるのは、

いつまで働くか?を考え、なんとなくでも答えを出した人です。

 

考えるだけで、別に損はしません。

一度、自分自身いつまで働くか?を考えてみましょう。

自分自身に、良い刺激になると思いますよ。

 

ちなみに私は、40歳で本業は辞めたいと思っています。

本気でこんな事を考え出してから、

思いつくアイデアと行動力は、まるで別人です。

 

40歳で本業を辞めるために、何をすべきか?

これが私の課題です。

 

あなたは、いつまで働きますか?

また実現するための課題は、何ですか?

完璧は難しい。

これまで、

目的や目標を自分自身で明確にする事。

その上で行動する事。

また、その目的や目標には根拠がある事。

が、重要だと発信してきました。

 

しかし、これらを完璧にこなすのは難しいです。

完璧にこなそうと無理をして、

「心」や「体」に支障がでてしまっては、本末転倒です。

 

仮に、

自分で決めた目標のための行動ができなかったり、

よく考えると、

目的に対しての根拠が弱かったりと、

【完璧】では無い場合が、あるかもしれません。

 

ですが、完璧でなくても全然かまいません。

 

【完璧】ではないと、

自分自身で気付いた場合。

 

他人からの指摘で、見つめ直し、

【完璧】ではなかったと認識できた場合。

 

これらの人は、

修正して【完璧】をまた追える人です。

 

自分の目的に、自分の作戦で行動し、

自分が求めていた結果を手に入れる事が、

【完璧】です。

 

これに、小さいも大きいもありません。

 

些細な事でも、

【完璧】を成し遂げた達成感は、大きいものです。

 

諦めてもいいし、失敗してもいい。

【完璧】は難しいですから。

また、やり直せばいいんです。

 

【完璧】のレベルや、挑戦回数は無限です。

何度でも挑みましょう。

 

最後に、【完璧】にできなかった時、

自分以外を原因にするのは、絶対にダメです。

 

良くも悪くも、自分に対しての物事は、

【自分自身】が原因です。

なので、【完璧】を達成できない原因は自分です。

これを、よく理解して挑戦し続けましょう。

 

【完璧】は難しい。だから、

失敗して当然。

失敗で止まらずに、再度挑戦し、

【完璧】の達成感を味わいましょう。

鬱と寄り添う。

 

myworld0223.hatenablog.com

 

この記事に書いた、【鬱と寄り添う】という事。

私自身の鬱も、完治したとは思っていないので、

寄り添っている状態です。

 

私自身も、鬱になる以前の状態に戻りたくて、

色々な行動を起こしました。

完治させるための行動です。

 

カウンセリングを受けたり、

投薬治療も抵抗はありましたが、実施しました。

ですが、私の場合、

どれも完治には程遠い結果でした。

完治どころか、

良い方向に進んでいる感触が、まるでありませんでした。

 

【完治させるための行動】を実行しているのに、

全く効果がない。

そうなると、「自分のやり方に問題がある。」と、

決め付けて自分を責めます。

結果、虚しさと怒りだけが残り、

大きな【絶望感】を行動する度に、

感じていました。

 

その状態が、3~4年続いていたので、

正直疲れきっていました。

そのせいか、完治させるための行動をとる事すら、

できなくなっていました。

 

「もう治らない」

 

こう思った瞬間、完治させるために行動してきた、

今までの緊張感(気を張っている感覚)が、

「ブツッ」と切れました。

 

切れた瞬間から本当に、

クズになりましたね。笑

 

仕事に対しても、家族に対しても、

そして自分自身に対しても

本当に無責任になりました。

「自暴自棄」って、やつですかね・・・。

 

「もう治らない」

「治らないなら、どうでもいい」と、

何もかもに、考えもしないし思いもしなくなりました。

 

ですが、これが今思えば、

【鬱と寄り添う】のキッカケだったように思います。

(当時の私は、そんな風には全く思っていません。)

 

「明日、仕事だから早く休もう。」が、

「仕事だけど関係なく酒を呑む。」になり、

 

「子供の環境をしっかり考えないと。」が、

「子供なんか勝手に育つだろ。」と、

目的も根拠も無い行動ばかりしていました。

 

これまで、好きでもなかった酒を毎日のように呑み、

しっかりした父親像から、

だらしないありのままの自分で子供に、接しました。

 

すると、どうなったか・・・。

 

酒が好きになり、外食するようになりました。

子供との距離が近づき、子供と一緒に、

外出するようになりました。

 

【鬱】になってからは、どちらもできなかった事です。

 

それが、

完治を諦めて、自暴自棄になる事で、

【鬱】の事を考えなくなっていました。

というより、考えることすらできない状態でした。

向き会わないといけないはずの【鬱】に対し、

見ないフリを、していたのです。

 

その事が、私には良かった。

 

見ないフリをする事で、いつのまにか

【鬱と寄り添う】生活がスタートしていたのです。

 

具体的なことは、またの機会に発信するとして、

完治させようと行動しているのに結果が出ず、

苦しんでいるなら、

その問題に向き合うことを止め、

見ないフリをしてみては、どうでしょう?

 

完全に「見ない」というのは、恐らく不可能なので、

あくまで「見ないフリ」です。

 

これが【鬱と寄り添う】キッカケに、必ずなるはずです。

物事と根拠

自分の目標や目的のために行動する。

その行動を支えるのが、

目標や目的に対しての【根拠】があるか?

というのが重要になってきます。

 

なぜ、そうなりたいか?

なぜ、その方向に自分は進むのか?

 

その根拠が無いと、行動は続きません。

ですが急に、物事に【根拠】付けをするのは、

難しいと思う方もいるかもしれません。

 

そんな人は、自分の日々の行動や思いに、

根拠付けをする癖をつけてください。

 

A「為替取引なんてやめた方がいいよ。」

私「どうして?」

A「あれって、ようはギャンブルみたいなもんでしょ?」

私「なぜ、ギャンブルだと思うの?」

A「周りの人達も、そう言ってるよ?」

私「その周りの人は、為替取引をしたことがあるの?」

A「それは、知らないけど・・・。」

 

為替取引はやめた方がいい。という根拠は、

A氏の場合、弱いというのは理解できると思います。

 

ほんの一例ですが、

根拠のない会話や説得って、結構多い気がします。

 

「なぜ、そう思ったか?」の問いに、

「なんとなく。」

「みんなも、そう思ってるし。」

 

など、根拠の無い人は周りに探せば何人かは、

いるのではないでしょうか?

 

そんな環境に染まることなく、

あなた自身の【根拠】を、

必ず持ってください。

 

思いついた物事に根拠は、

必ず自分自身で付けてください。

自分の思いにも、根拠を付けてください。

 

私は、こう思う。なぜなら・・・。

なぜならの後を、答えられるようにしてください。

 

根拠が付けられる人は、他人と会話ができます。

他人の相談に乗り、自分の相談に乗ってもらえます。

 

根拠の無い人の相談、それは・・・。

ただの【グチの言い合い聞き合い】です。

 

根拠付けを癖にして、

自分自身の可能性を広げてください。

仕事量と幸福度

私の現在の収入は、

自営業7割

為替取引2割

雑収入1割

というバランスです。

 

今後は、自営以外の収入を増やす事が目標(なりたい自分)です。

私は建設業に携わっているのですが、

加齢による体力の低下は、この業界では不利だと考えています。

特に私のような、個人事業主のままだと余計にです。

法人化して組織力をつける事も、

建設業界で生き残るための選択肢として考えた事はありました。

が、そこまで建設業界に対して「こだわり」が、

私にはありませんでした。

 

そんな私に、建設業界まっしぐらの友人は、

「もっと頑張れ!」

「気合入れて仕事に取り組め!」

と、声をかけてきます。

この友人、言うことだけあって、

毎日遅くまで建設業という仕事に向き合っています。

先月は、休みが1日も無かったそうです。

 

休みなく頑張ってまで、建設業界に対して「こだわり」が、

先ほども言ったように私にはありません。

 

建設業界で必要なのは、私よりも今回の友人です。

それは、私自身も理解しています。

 

ですが、【幸福度】という観点からはどうでしょう?

建設業界が最高の居場所で、建設業界に触れている時が、

一番幸せだと友人が思っているなら、

友人の【幸福度】は、かなり高いです。

 

しかし、

「生き残るため。」

など、自分自身に無理をしていたら、

【幸福度】は低いはずです。

 

ひとつの仕事に対して、

仕事量を多くする事が必ずしも【幸福度】を、

上げるとは限らないのです。

 

仕事に対して、いくつかの選択肢を持っていることは、

【幸福度】が上がりやすい要素だと、

私は思っています。

 

今回の【幸福度】は、仕事による【収入】。

つまり儲けです。

(幸福度は、お金だけではありません)

 

いくつかの選択肢を持って、収入源のバランスを

散らしておくと気持ちに余裕ができるので、

大好きな仕事にも、正直に向き合えます。

 

この仕事で食えない。

 

より、

 

この仕事がダメでも、他がある。

と、思える形を私は作っていきたい。

 

それが、現在ゆっくりですが、

現実になってきています。

 

あなたは、どちらの生き方が魅力的でしょうか?

目的と行動

似たような内容を、過去にも発信していますが・・・。

 

目的がないと行動は輝きません。

目的のない行動は、ほぼ無意味だと思っています。

ですが、目的のない行動をする事もあります。

なんとなくテレビを見たり、

ネットサーフィンしたり。

これらの行動は、結果的に自分にとって、

あまりプラスにはなっていません。

ですから、

「無意味」だと思うんです。

 

同じ行動でも、

「自分にとって影響力がある人がテレビに出演するから、

その番組を視聴する。」

「調べたい事があるので、ネットを利用する。」

では、何らかの結果が得られます。

 

そこに目的がある事で結果は大きく違います。

 

しかし、目的が「ある」「無し」に関わらず、

変わらない事があります。

それは、

 

【時間の経過】です。

 

時間だけが唯一、常に、

誰にとっても平等です。

 

目的を持って行動する時間。

 

目的無しに行動する時間。

 

永遠では無い、限られた時間に対して、

どちらの行動を多く費やしますか?

過程と結果

物事に対して、

「過程」と「結果」

どちらを大事にしていますか?

結果に満足するために、

過程を大事にするのは当然なんですが・・・。

 

結果より過程に固執してしまう人がいます。

こういうタイプの人は、

自分自身の事や、自分の現状を見つめることより、

理想を追い求めているような気がします。

その結果、理想は現実とだんだん距離をとり、

いつしか届かない存在になります。

そして、諦めざるえない状況になっても、

「過程」というものに、

固執、執着してしまいます。

むしろ・・・。

 

過程に固執する事しかできなくなるんです。

 

自分の満足する結果を得れてなくても、

過程にこだわったおかげで、

過程には満足している。

 

というような状態になってしまうんです。

 

勘違いして欲しくないのが、

どれだけ努力しても、満足のいく結果が出ない。

という事は、当然あります。

むしろ、そんな事の方が多いです。

 

ですが、

「過程」に満足するか、しないか、は別の話です。

 

過程に問題があるために、結果が出ないんです。

 

頑張った自分に対し、「よくやった」という思いはある。

しかし、結果は出せなかった。

その結果を、見つめた時に、

 

頑張った自分を褒めるだけの人。

 

悔しいが、過程に問題があったと認められる人。

 

どちらが、幸福度の高い生活を手に入れるでしょうか?